猛暑

はや夏バテだろうか。

どうもすっきりしない。食欲もあるし、一日のうち朝起きた後はそれなりに行動的にもなるのだが、しばらくするともうだめだ。

なにしろ連日、35度とかいう「真夏日」である。

いったいこの「30度」を超えるのが普通になったのはいつ頃からなんだろう。

私が子供の頃も、もちろん暑い日はあった。でもそれは30度をすこし超えたぐらいであったように思うし、ここ最近のジリジリとしてムワァァとアスファルトから上へ上へとたちのぼってくるような熱気とは違う種類の暑さだった。

それでエアコンをつけるわけだが、エアコンを使用すると、とたんに外出が億劫になる。

節電もあって、エアコンはリビングの1台だけを最低限つけるようにはしているのだが、この部屋から一歩出て、くそ暑い洗面所で顔を洗い化粧をし、寝室に入って洋服を選んで着替える、という一連の「でかけるための準備」作業を考えるだけでうんざりとしてくる。

だけど、そうして家にひきこもって、何やらあるもので適当に食事もすませているとだんだんと体がだるくなってくる。

昔の夏バテとは、暑さで食欲が減少し、そうめんみたいなものばかり食べたり、かき氷やスイカの食べ過ぎでお腹をこわし暑気あたりになるといったところだったのだろう。

最近の夏バテは「体温調整」「体調管理」が満足にできないからダメなのだろうか。

体温調整は本来、体がもつ「汗をかく」などの作用で自分の体温をある程度コントロールしていくものである。

これが過度のエアコン使用や、室内外の温度差の激しさで対応しきれなくなってきている。

体調管理については、これは大人として社会人として、まっとうな暮らしをすごすために夜は疲労回復にはげみ、週末は精神的な回復にもはげみ、体の欲するもの、栄養などに気配りし、適度なスポーツなどで体力そのものをキープする、そういう「努力」の積み重ねが必要だ。

と、私は充分に理解しているし、わかっているのだが、これができないのが昨今の猛暑である……。

氷をうかべた麦茶片手で、ソファでぐんなりとエアコンの風にあたりながら「夕飯の買い物にいかなくちゃなぁ」とぼんやり考えている。気がつくと午前中が終わっていたりする。何もせずにいるのに、一人前におなかがすくのもどうかと思う。

非生産的な夏。

自分に誰か、カツをいれてください……。

保健師

見えないものが見えたなら

神様や幽霊、妖怪、妖精にオーラ。この世には普通の人間には見えないものが存在すると言われています。科学がこんなにも発達した現代でも大いに信じられています。

それがなかった昔は、絶対的な存在だったことでしょう。特に神様は、人々の信仰が深ければ深いほどその存在がよりリアルになるものだと私は思います。

いると思えば、いる。いないと思えば、いない。実に現実主義な考え方ですが、実際そうだと思うのです。

例えば思わぬ不幸が起きたとき、それを救ってくれる何かが現れたとしましょう。財布を落としたのに、近所の犬が拾って届けてくれたとしましょうか。

見えないものを信じている人なら「この犬は神様の使いだ」と思ってもおかしくありません。日頃の信心のたまものだと自分の行いに自信をもつことでしょう。

逆に神様の存在を信じない人は、いつも遊んでやっているから私のニオイを覚えていたんだな、で終わりです。

どちらがいいという話ではなく、信じるものと信じないものではこれだけ差があるということです。私はどちらの生き方も考え方もありだと思うのです。

実際、私は何かの宗教を信仰しているわけではなく、神様はいないと思っています。しかし、六曜なんかは意外に気にしますし、初詣にもちゃっかりいきます。

神様という名前にするから変な感じがするのかもしれません。未来の自分、とでもいいましょうか。誰かに見られているなという気はしています。

恐らくそれは幼い頃からの刷り込みでしょう。そんなことしたらバチが当たるよ!とか、悪いことしたら神様に見られているよ、とか。

雷が鳴れば「おへそを隠さないととられる」と言われました。ああいったことの積み重ねで、人は誰かに見られているから悪いことは出来ないよと教えられた気がします。

それでいいのです。神様という存在が身近で「悪いことはできないものだ」という鎹になれば十分だと思うのです。

もしも神様が見えたなら、何かお願いしてしまうかもしれませんね(笑)ちょっとでいいんで宝くじ当ててくださいとか!!まあそんな煩悩は怒られるだけでしょうが。

世界を今よりも平和にしてください、とかなら叶えてくれるのでしょうか。少なくとも、神様に祈るしかない、というような状況になる人生は避けたいですね。